若柳吟采インタビュー

生きることは踊ること

日本舞踊に魅せられて

「生まれながらの筋の良さ」と五歳で入門した時から若柳吟師に見込まれ、現在は自身の弟子の指導にもあたりながら国内外の舞台など幅広く活躍する直派若柳流師範・若柳吟采さん。祖父母に連れられたお稽古場で初めて見た吟師の踊りに一目でとなり、日本舞踊一途の日々を歩んできました。

平成28114日には初の「若柳吟采リサイタル」を開催。この舞台が評価され、第71回文化庁芸術祭優秀賞を受賞されました。「驚きと嬉しさでいっぱいですが、ひとえに吟師匠や若吟会のみなさん、そして家族の支えで一心に踊り続けることができたおかげです」と感謝の言葉を何度も繰り返されます。

天賦の才と弛まぬ努力の日々に一つの節目を迎え、さらなる飛躍を目指す吟采さんに、人生そのものという日本舞踊への想いを語っていただきました。


踊りが真ん中にある暮らし


 私が日本舞踊の世界に導かれた一番のきっかけは祖父母の勧めです。祖父が小唄、祖母も日本舞踊や三味線をたしなんでいたのでおじいさんおばあさんの願いから始めました。もう一つは和装になじんだ環境です。京都・西陣で200年以上続く菱屋善兵衛(木野織物)という織物業の家に生まれ育ち、このあたりでは昔から『女の子には芸を身につけさせよ』と言われたので、両親もそういう考えは早くからあって、おじいさんおばあさんの願いもすんなりと叶ったようです()

そして5歳の春、祖父母に手を引かれて門をくぐったのが生涯の師となる直派若柳流若柳吟先生のお稽古場でした。吟先生はおばあ様(吉吟師)、お母様(吉寿賀師)と三代続く日本舞踊のお家柄で、初めてお会いした時の先生の踊りは今でも鮮明に浮かぶほど気迫に満ちたものでした。幼いながらも一瞬で虜となり、その日から私の歩む道は定まったのです。もともと幼稚園のお遊戯では一番いきいきと踊っているような子だったので、性に合っていたのでしょう。

 お稽古は週2回。緊張感漂う吟先生の指導は師として愛情があるがゆえの大変に厳しいお稽古でした。でも私は踊りが好きという気持ちが強く、どんなに厳しくてもあまり落ち込まない子でしたね。少しでも上達したい! ただひたすらにその思いだけでした。

発表会の前になるとお稽古はほぼ毎日になります。地方さん(1)や他の先生方にご一緒していただく日もあるので小学校もよく早引けをしました。社会見学や遠足のある日に地合わせ(※)が重なると、帰校時間に間に合わないので祖父母が見学先の工場や遠足の場所まで車で迎えに来て、そのままお稽古場へ向かうのです。先生やお友達から「今日は踊りの日なんやな、バイバイ!」と慣れたふうに見送られ、学校では踊りの裕子ちゃんで通っていました。お友達との遊びも「踊りゴッコ」が好きで、私が師匠役でお友達を弟子役にして教えるのです。私は踊れるので楽しいですが、お友達はハタ迷惑なことだったでしょうね()

 二十歳代はスキーやスノーボードなど別の楽しみもできましたが、あまり積極的に行かなかったのは「怪我をしてお稽古ができひんのは嫌やなあ」と思ったから。みんなが楽しいと思うことより、踊れることを大切にしてきました。  

    


感謝の気持ちは踊りに込めて

いつも踊りが最優先の毎日。ですから芸だけに生きる道もあったと思いますが、縁あって25歳のときに結婚しました。2人の子どもに恵まれ、踊りとはまた別の大きな幸せをいただいたと主人との出会いには感謝しています。

 上の娘も5歳から踊りを習い、中学生で名取若柳吟舞依をいただきました。親子で踊った「鏡獅子」は良い思い出です。今は高校生ですが感情がとても豊かで、私の「神楽娘」の舞台を見て、自宅で必死で稽古をしていた姿が重なった、と楽屋で号泣してくれるような子です。

 小学生の息子は舞台で踊る私を初めて見た時、家のお母さんとはあまりにも違うので唖然としたとか。家事などで慌ただしくしているいつもの私と、衣裳を身につけて舞台で踊っている人が同じだとは信じられなかったようです()。でも大勢の前で踊るお母さんは誇らしかったようなことを、後で夫から聞かされた時は嬉しかったですね。

 とにかく踊っていられたら幸せ。生きることは踊ること。私から踊りを取ったら何もありません。それほど一心に踊ってこられたのはそんな家族や吟先生とまわりの方々のおかげです。

 平成26年から祇園祭の花傘万灯踊りの指導もお引き受けし、新たな取り組みも経験させていただいています。日本舞踊にまったく縁のない小学生たちが、わずか一カ月で大勢の観衆の前で踊れるようになるには子どもたちも教える私も大変ですが、みんなよくがんばってくれるのです。来年も出たいと言ってくれると、日本文化の継承に少しお役に立てているのかなあと思ったりしています。

そして多くの方々のお導きで「覚悟」を決めることができた初の「若柳吟采リサイタル」は同28年(第71回)文化庁芸術祭参加公演の開催となり、同年の文化庁芸術祭優秀賞受賞につながりました。私の踊りの人生に大きな節目を迎え、ここからがまた次へのスタートです。さらに精進を重ね、古典を究め、子どもたちに日本舞踊の楽しさを伝えること、そして多くの方に見ていただく機会にも取り組んでいかなければと感謝と同時に心を引き締めています。

やりたいこと、やらねばならないことはたくさんあります。自分のことだけでなく、お弟子さんたちの指導にも力を注ぎながら何事も一つずつ丁寧に積み重ねていくしかない道です。そして少しでも吟先生のような踊りとお人柄に近づきたい。遠い道のりですが、歩みを止めることなく今後も進んでいきたいと思っています。 

1 舞踊において唄、三味線、鳴物を受け持つ人。
2 地方さんと合わせるお稽古。

(プライベートインタビューより抜粋)

●プロフィール
若柳吟采 直派若柳流師範・公益財団法人日本舞踊協会会員
1978年5月  直派若柳流副理事長 若柳吟師に師事
198411月 名取 若柳吟采
19963月  師範名取
京都精華学園中等部日本舞踊指導、京都市立烏丸中学校着付け指導、祇園祭花傘万灯踊り指導、その他諸活動を展開

 

吟采さんが初めてお稽古に来た時、一目見て「筋がええ」と思いました。一緒に稽古をつけていた母(吉寿賀師)も彼女を見るなり「小さいのに色気がある子やなあ」と感心したことを覚えています。  すーっと手を出す所作も自然で勘どころも良く、なんとも言えん色香を漂わせるんです。これは稽古をしたらできるもんではなく、持って生まれた天賦の才。そしてご家族の理解と協力にも恵まれ、まさに踊るために生まれてきた子やと思います。これほどの筋の良い才能ある弟子に恵まれた私も幸せです。  これからも努力を重ねて精進しつつ、古典舞踊を伝承し、若い人たちの育成にも精を出してがんばってほしいと思いますし、それが吟采さんを支えてきたおじいさん、おばあさん、ご家族への一番の恩返しではないでしょうか。